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六平のあっちこっち旅歩き 4 京都宇治川



宇治川は、瀬田川、宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む淀川水系の支流です。大津市で琵琶湖から流れ出て瀬田川(せたがわ)と呼ばれ、京都府に入るあたりで宇治川(うじがわ)と名を変え、さらに京都府と大阪府の境界付近、大山崎町で桂川・木津川と合流して、この合流地点より下流が俗に言う淀川となります。淀川(宇治川)流域は古来より政治・文化・経済の中心地として極めて重要な位置を占めていました。豊臣秀吉が晩年伏見に居を移すにあたって、宇治川の改修を行い現在の様な伏見への流れに変わったといいます。これにより伏見は交通の要衝として益々栄えることになりました。歴史では宇治川の戦いが有名で、平安時代末期の寿永3年(1184年)1月に源義仲と鎌倉の源頼朝から派遣された源義経との間で戦われた合戦の大舞台となりました。
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| 六平のあっちこっち旅歩き | 13:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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六平のあっちこっち旅歩き 3 京都二条城



二条城(にじょうじょう)は京都市街の中にある平城で、現在の城は徳川氏によるもので、城全体が国の史跡に指定されています。二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿にある計1016点の障壁画が重要文化財に、さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されています。歴史上、足利氏、織田氏、豊臣氏など各時代にさまざまな二条城があったが現在残っている城は徳川家康が京に滞在中の宿所として造った城であるということです。この城で1611年(慶長16年)現在の二の丸御殿において家康と秀頼の会見が行われました。家康は秀頼の成長ぶりに驚き徳川家の天下が覆されるかもしれないとの危機感を抱き、豊臣家を滅ぼすことを決意したともいわれています。

| 六平のあっちこっち旅歩き | 13:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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六平のあっちこっち旅歩き 2 京都壬生寺



壬生寺は京都では珍しい律宗(総本山は奈良・唐招提寺)の寺院なのですね。ここも本堂は近代的な建物で驚きました。この寺の重要無形文化財の融通念仏による壬生の「大念仏狂言」は有名ですね。江戸の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠が壬生村の八木家に置かれて、当寺この寺の境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたといいます。その縁で境内には局長近藤勇の像や、新選組隊士の墓である壬生塚がありました。新撰組のイメージを想像して訪れましたが周りの風景は現代的なたたずまいで、昔の面影は全く無く境内の隅にある芹沢鴨などの墓が、わずかに往時を忍ばせていました。

| 六平のあっちこっち旅歩き | 12:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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六平のあっちこっち旅歩き 1 京都本能寺



京都本能寺といえば織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で有名な史跡寺院ですね。私、京都に仕事があってその合間に、このお寺さんに寄り道してきました。
本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、室町時代に創建されそうです。色々な歴史の変遷を経て「本能寺」と名前が改められて法華経弘通の霊場として足利氏の保護を受けました。本能寺は、早くから種子島に布教していたことから、鉄砲・火薬の入手が容易であり、戦国大名との関係が深く、特に織田信長はこの寺を上洛中の宿所とまでしていました。天正10年6月2日(1582年6月21日)いわゆる本能寺の変がおこり、その際堂を焼失しました。その後 天正19年(1591年)豊臣秀吉の命で、現在の地に移転したそうです。私色々なお寺さんを見てきましたが周りが近代的ビルの中に、ひっそりとこの寺はあり、少々イメージと違いましたが、しばし歴史の中に我を忘れてしまいました。

| 六平のあっちこっち旅歩き | 13:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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