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つれづれ秋の道草 52  「スローフード」とファーストフード ②



さてファーストフードはもともとアメリカの合理主義から生まれた事業で、人口の多くを占める輸送や建設現場の労働者達に手軽にハンバーガーを買わせる為に起こした食事産業なのです。日本にも上陸以来、外国に影響されやすい日本の若者達はこぞって飛びつきました。しかしよくよく考えて欲しい。もともと日本人の体は穀物食用に構造が出来ていて肉食用には出来ていない。人種や国の文化や食文化も異なるアメリカに生まれた食事と同じ物を食べるなどと・・我々の体に合う筈がないではないか。更にうがった見方をすると食料教育をしない日本への陰からの侵略、つまりアメリカの食料輸出戦略の一環ともとれ、大変に脅威を感じるのです。日本の若者達はこのことを知ってか知らずかファッション的に今日も食べまくっています。日本の伝統的食文化や味覚をわすれ、高カロリーのファーストフードで生活習慣病の原因をせっせと体に蓄積しているのです。あー・・
写真は県歌「信濃の国」に歌われている久米路橋
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| つれづれ秋の道草 | 15:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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つれづれ秋の道草 51  「スローフード」とファーストフード①



今や若者達のファッションにもなっている外食産業のファーストフード。全国一律に同じ調理で同じ味で食べる大量生産の食べ物、一見便利だが食べる者の選択肢が少なく食べさせられているという感じの食事。これがファーストフードですね。ではスローフードって何か・・ファーストフードの反対言葉でただゆっくりと食べようというのではありません。これはもともと北イタリアで生まれた食文化を守ろうとする運動で、イタリアに進出してきた人工甘味料と化学調味料をふんだんに使った軟らかくて食べやすいアメリカの外食産業に対して、伝統的なイタリアの食生活を変えてしまうという危機感から生まれた伝統食を守り育てる食文化運動なのです。さすがルネッサンス発祥の地らしいですね。つづく。
写真はもうじき雪が来る常念岳

| つれづれ秋の道草 | 17:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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つれづれ秋の道草 48  農業の心



殆どの農家が稲刈りを終わらせた。稲の刈られた田んぼの畦を歩くと、稲株からまだ甘い香りがする。しかし畦は大変なことになっている。農家も段々高齢化になって最近は機械を使用して草を刈るのさえも辛いので、強力な除草農薬をまいて畔草を枯らしている。収穫の終わった枯れ畦はスギナがいっぱい生えて他の雑草は見えない。事情はあれも、この姿は全く不健康な畦だ。大いに異議ありだ。除草剤を水田の畔にまくというのは愚行だと思う。水田の畔は色々な大切な役目をしている。畔草が繁茂したり雑草がはえるのは土地が健康な証。ドイツではこれを土台技術といって農業の基礎に置いてある。健康な雑草も生えない土地はやはりおかしい。農業の心をなくしてただTPP反対というのか・・
写真は今日の有明山

| つれづれ秋の道草 | 13:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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つれづれ秋の道草 47 泥酔お化け・気をつけます



お酒党の名誉の為に申し上げますが世のお酒大好き人間は、別に泥酔しようと思って飲んではいないのです…でもこれがお酒の魔力かね。酒で人格が変わってしまう人、実際に多いのです。そんな人の奥さんや彼女は大変だね。本当はさし向かいで粋にいっぱいってのが女性の理想なのにね。医師の話を聞くと三十分以内または短時間に日本酒なら一升、ビールなら大瓶十本、ウイスキーならダブルで十杯、これ位いくと、血中の濃度はきわめて危険に陥り時として命を取られると警告しています。私も経験あります。死ぬかと思いました。まして一気飲みなどは殺人、自殺行為だとも警告しています。今夜も何処かで泥酔お化けが現れる・・ないことを・・。 写真台風の過ぎた後・・

| つれづれ秋の道草 | 10:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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つれづれ秋の道草 46 秋は信州で歴史散策



永禄2年(1559年)、長男景虎(上杉謙信)は関東管領職就任の許しを得るため上洛を果たし将軍・足利義輝に関東管領上杉政虎就任を正式に許された。永禄3年(1560年)、大義名分を得た政虎(以後謙信と呼ぶ)は関東北条制圧のため出陣。北条氏康は小田原城(小田原市)に籠城した。氏康は同盟者の武田信玄に援助を要請し、信玄はこれに応えて信濃に侵攻。川中島に海津城(長野市松代町)を築き、謙信の背後を脅かした。関東制圧を目指す謙信にとって背後の信越国境を固めることは急務であった。その為武田氏の前進拠点である海津城を攻略して武田軍を叩く必要があった。同年8月、謙信は越後国を発ち善光寺を経由して妻女山に布陣した。これに対する武田方は茶臼山(雨宮の渡し、他に諸説がある)に対陣した。この後は皆様ご存知の通り、八万原の一騎打ちの場面が登場する。歴史散策しませんか・・
写真は八万原の銅像

| つれづれ秋の道草 | 10:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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