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音楽あれこれ話⑩ ハドソンリバー・クリヤウォーターリバイバル音楽祭②



1990年に私達はクリヤーウォーターリバイバル音楽祭に参加した。会場の六つのテントでは200名の音楽家達が各国の音楽を演奏していた。屋台も沢山の食べ物を出しフリーマーケットから文化サークルへの勧誘まで大変な賑わいであった。路傍では大道芸が盛んで人だかりが出来ていた。フォークダンスや、バトミントン、アスレチック、エアロビクスまであった。その多様さと子供から熟年層まで人の多さにたまげた。皆、平和を願い自然保護を願い、特に水を大切に思う々達であった。特徴的だと思ったのはどのテントもブースも大勢の人々がよく語り合っている姿だった。語り歌う・・フォークソングの心と歌の響きが本当の平和を呼ぶんだと思った。足を棒のようにしてへとへとになるまで歩き、歌を聴き生きている満足感さえ覚えた。ボランティアも素晴らしかった。ただ我々以外の日本人には誰にも会わなかった。まーいいか・・何時か日本の安曇野でもこんなフェスティバルを開いて人々に来てもらおうと・・思い始めていた。
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| 音楽あれこれ話 | 14:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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音楽あれこれ話⑨ ハドソンリバー・クリヤウォーターリバイバル音楽祭①



私の音楽哲学の師、故矢澤寛さんの言葉を転載させて頂きます。
日本ではフォークソング運動は過去のものとして扱われたり音楽業界の一ジャンルとして扱われているが、フォーク運動の本場アメリカでは今だ盛んである。確かにベトナム戦争の頃から見ると一時のような盛り上がりはなくなったがその火種は耐えることなく続いている。このハドソン川浄化の問題をはじめ国内の環境問題が現在はその中心である。先頭を切ったのがフォークの神様ピートシーガー、彼はハドソン川の汚れを憂えて1969年6月にハドソン川に帆船(1930年代のものを復元した)を浮かべてキャンペーンを始めたのだ・・つつく
写真・秋の木崎湖

| 音楽あれこれ話 | 15:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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音楽あれこれ話⑧  フォークソング5



自然保護についてはその解釈には色々ある。自然の中の自然保護かそれとも人々が関わって共存する自然保護か意見は様々だ。過去には長良川の河口堰の問題、諏訪湖の浄化の問題、各河川の汚れ、富栄養化の問題、等々枚挙の暇もないが、そこに目を向け考え、議論し答える、ここにフォークソングの原点がある。心がある。現在、活きた水を育む腐葉土が出来る広葉樹林の山々が、経済効果を優先させた針葉樹林に変わりその面積が日本の山林面積の四割を超えている。そしてそれらの山の沢には岩魚もすまない。こんな現実を知っている人は殆ど居ない。源流の意味、水の意味をどの様に知らせようか・・フォークシンガーの使命は大きい。

| 音楽あれこれ話 | 15:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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音楽あれこれ話⑦ フォークソング4



ニューヨークは世界の都だ。初めて渡米した時は見るもの全てに目を丸くしたものだった。しかしここでも川や自然が大きく病み人種差別や銃社会の矛盾など大変な問題をはらんでいた。国は違っても子供達にとって川や水辺は楽園であり憩いの場だ。ところが心無い企業のカドミュウムの垂れ流しが、グレートハドソンを大きく蝕んでいたのだ。フォークの神様といわれるピートシーガーはこの河を救おうと仲間とともに立ち上がった。時に六十歳。毎年六月の第二の土日に開催されるグレートハドソン、クリヤーウオーターリバイバル音楽祭がこれだ。私は二年参加したが日に十万人を動員する大きなフェスティバルだった。そしてこの売り上げを河の浄化の為に寄付しているのだ。狭い日本で一人で愚痴っていた私など目からうろこが何枚落ちたであろうか・・

| 音楽あれこれ話 | 15:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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楽あれこれ話⑥ フォークソング 3



かつて、若者たちは都会にあこがれて飛び出し東京や大阪からの一方通行の情報が電波とともにどんどん入り込み、文化的近代生活の何たるかをけたたましく論じている。やがて現金収入が近代文化生活には必須となり、都会では鍵っ子を残し田舎では田畑をうっちゃって町の工場に出て行った。大量生産、大量消費、道徳や優しさの失われた節度に見境のない、バラバラ時代がやってきた。当時、自然や特に水が命、文化の根源であることを誰が考えたであろうか。それには時がまだ必要であった。当時都会に出ると独特の臭いと雰囲気で決まって目が痛くなり頭痛に悩まされた。我等は空は灰色、色の変わった太陽、公害の中で、少しの場所を見つけては声のかれるまで歌った。しかし決定的に自分の熱い思いを意識できたのはアメリカでのクリヤーウォーター音楽運動に触れてからであった。(つづく)

| 音楽あれこれ話 | 13:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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