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お茶飲み話・木枯しの巻き 24  有難うございました。



釈尊を亡き者にして自分が教団の王になろうと、時のビンピサーラ王の王子アジャセをそそのかし王を幽閉し、釈迦に矢を放ち、岩石を落とし、象をけしかけたダイバダッタは、いずれも果たせず失敗に終わった。そして釈迦の弟子達に捕らえられた。口々に厳罰を唱える弟子達に釈迦は「善知識の極意」を教えた。「ダイバいたから私の教えが証明された」のだと。今年も自分はどの位の人に教えられてきたのか・・感謝して新しい春に向かいたい。有難うございました。良いお年を・・
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| お茶飲み話・木枯しの巻き | 10:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お茶飲み話・木枯しの巻き 23  皆さん良いお年をお迎え下さい。



年の暮になり勝海舟がなじみの蕎麦屋に行った時、その店がとても景気が良く見えたので「なかなか繁盛だなー」そう言うと、女将は「うわべはその様に見えましようが財布は火の車、主人は金の工面で飛び回っています・・こう押し迫っては金は工面できますまい。こういう商売はお客様や奉公人に内情を見透かされぬ様にする為に、するだけの事をするのですよ・・そうでないと家の魚まで腐って見えますし自然に人気が落ちます。しかし、じっと耐えておりますと自然に回復するものです・・」と。海舟は手持ちの三十両を貸し与えると帰って行きました。翌正月、七草も過ぎた頃。海舟がまたこの店に立ち寄ると店は大繁盛。すごい景気で貸した三十両はおろか多額の利子をつけて返してくれました。海舟は「孫子の兵法」の極意をこの女将に見たといいます。辛くてもそれに負けず元気に振舞えば集まる人々も元気になる・・のですね。私も貴女も皆さんも元気にお正月を迎えましょうね。フェイスブックの友達の皆さん、今年は大変お世話になりました。はーい良いお年をお迎え下さい。
写真は正月に羽を休める白鳥たち

| お茶飲み話・木枯しの巻き | 15:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お茶飲み話・木枯しの巻き 22  年末雑感 



後五日もすると賀正か・・今朝は冷えたなー。それでも薄日が差してきたと思ったら風が吹き出した。気圧が不安定だ。午後は雨だって・・? 雪の間違いではないか・・我輩は銭もないので手作りの門松を作ったり、春よ来いと願いギターの弦を変えたりしている。そうだ酒のつまみの酢蛸と雑煮の餅位は買っておかないとな・・年末年始といったって、たかが月が変わる位にしか考えていないが、心のどこかでは我輩も新年を待っているのかもな・・はは、クリスマスの騒乱が過ぎて今度は年末年始の騒乱が始った・・これが日本の文化なのだなー・・
写真は遠くに見える雪の日本アルプス

| お茶飲み話・木枯しの巻き | 09:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お茶飲み話・木枯しの巻き 21 キリスト生誕の日  



本日は暮の25日ほぼ快晴でした。キリストの生誕の日でもあります。全国の多くの方々は皆一時にキリスト教の信者になった日でもあります。酒を飲み、ケーキを食べプレゼントを交換して信者になったお祝いをしています。でも思うに日本のあらゆる商売人はしたたかです。クリスマス商戦と銘を打って、大儲けをしたことでしょう。このまま歳末商戦と銘を打ちなおして年越しの買い物を誘発しています。私等の様に貧しいもの達から見ると何ともうらやましく複雑ですが、やっぱ日本には銭があるんですね。個人資産が○○○百兆円・・考えても何もこないので、やっぱ酒飲んで寝ます。
写真は快晴の浅間山

| お茶飲み話・木枯しの巻き | 15:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お茶飲み話・木枯しの巻き ⑳  大岡越前守忠相



今日も良い天気です。昨日は冬至、これから米粒一つずつ日が長くなるといいます。南瓜団子をいただきましたか??私達の風習でこれを食べると厳冬を乗り越えられるといわれています。さて大変なこと忘れていました。去る12月19日は大岡越前守忠相の命日でした。思い出してよかった・・・

大岡 忠相は江戸中期の幕臣・大名で8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、江戸の市中行政に携わり地方御用や寺社奉行を務めた名奉行でした。忠相は享保2年(1717年)、江戸町奉行(南町奉行)となり江戸の都市政策に携わり司法にも携わりました。過密地域である江戸八百八町の防火体制強化の為、町火消を「いろは四十八組」に編成、また庶民対策では享保7年(1722年)に目安箱に寄せられた要望を取り入れ小石川養生所を設置しました。更に、青木昆陽(文蔵)を書物奉行に任命し飢饉対策としてサツマイモの栽培を助成したり庶民の味方として色々な善政を引きました。寛延4年(1751年)6月吉宗が死去。忠相自身も体調が優れず、同年12月に吉宗の後を追う様に75歳で亡くなりました。今も大岡忠相のドラマは沢山制作されていますね。政治は一隅を照らすものでなくてはいけません。・賄賂政治はやっぱ駄目ですよ・・
写真は安曇野小春日和

| お茶飲み話・木枯しの巻き | 11:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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