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信州あっちこっちシリーズ 38



木曽親豊が創建したと言われ、豊臣秀吉の時代に犬山城主石川光吉が、当時荒れた寺を再興再建したと言われています。お寺の古文書によると尾張徳川家の参勤交代の道中にはじめて蕎麦切りを提供したと、記されているそうです。木曽の旅の折にはこの古刹に寄られては如何でしょうか・・
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| 信濃路あっちこっちシリーズ | 12:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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信州あっちこっちシリーズ 37



小林一茶の終の住処の土蔵・俳諧師一茶は、宝暦13年(1763年)現長野県上水内郡信濃町大字柏原の中農の長男として生れ、25歳のとき小林竹阿(二六庵竹阿)に師事して俳諧を学んだ。文化9年(1812年)50歳で故郷の信州柏原に帰り文政10年閏6月1日柏原宿を襲った大火に遭い母屋を失った。そしてその年の11月19日に焼け残った土蔵で64年半の生涯を閉じた。その土蔵が今復元されています。信濃町にお出かけの折りには・・

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信州あっちこっちシリーズ 36



松井須磨子の墓・松井須磨子、女優、本名小林正子。明治19年3月8日、長野市松代に生まれる。1909年(明治42)に文芸協会演劇研究所第1期生となり、帝国劇場での公演『ハムレット』で演じたオフィーリアで評判をとり、同年9月に本邦初演の『人形の家』(イプセン作)におけるノラは、まさに新しい女優の出現となり、彼女の名声を決定的なものとした。抱月との恋愛で話題にもなった。大正2年抱月とともに芸術座を組織し以後数年間『モンナ・バンナ』『復活』『サロメ』『カルメン』などに主演。大ヒットした。大正7年に抱月がスペイン風邪で急逝すると、須磨子は翌年1月5日その後を追った。32歳だった。今松代の実家の墓で眠っている。日本の新劇女優の第1号の須磨子のお墓に私はよくお参りをするのです。松代にお出かけの折は・・

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信州あっちこっちシリーズ 35



松代文武学校・松代藩が藩士の子弟に文武両道の教育を施し設置した「藩校」。八代藩主真田幸貫公が水戸藩の弘道館をまねて建てた。授業は藩士の子弟8歳から14歳迄が漢学を学び、武芸は15歳から35歳まで本格的に学んだ。1年1回試験は藩主の前で受けるという厳しいものだった。成績が良ければお殿様からお褒めにあずかり、悪ければお父さん共々しかられ本人は落第となった。今も昔のままその施設が残っており、時代劇にはよく使用される。見るべし

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信州あっちこっちシリーズ 34



諏訪高島城・江戸元禄時代の赤穂義士の討ち入りの時に応戦したが深手を負った吉良上野介の養子、吉良義周(よしまさ)は義士から首を討たれず生き残った。幕府は部門の頭領として不行き届きとその後高島藩に流した。当時の幕府の政略に沈んだ若者、こんな話を想いながら一度は訪れてみて下さい。

| 信濃路あっちこっちシリーズ | 16:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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